大山のぶ代さんは初代ドラえもんの声を担当したことで知られる大御所声優の1人です。
初代ドラえもんというとかなり昔のことなので今の若い方たちは知らないかもしれないですね。
現在もドラえもんのテレビ放送は続いていますがどの方がドラえもん声優になられても、大山のぶ代さんの声がベースになっていると思います。
今回はそんな大山のぶ代さんについての幼少期からの声のエピソードを調べてみたので、気になる方は見てみてください。
大山のぶ代さんの幼少期から声優になるまで
大山のぶ代さんの幼少期から声優になるまでをまとめてみました。
幼少期は変な声!?
大山のぶ代さんは返事をしただけでも周りが反応するほど、幼少期から独特な声をしていたようです。
とにかくおしゃべりで、母親からお菓子をあげるから10分静かにしていてといわれてしまうほどだったようですね。
おしゃべりから無口へ
大山さん本人は声のことなど特に気にすることもなくすくすく活発に成長していきます。
しかし、だんだん周りの反応から自分の声がおかしいのでは?と考えるようになり中学にあがったころには声を発することがはずかしく、無口になってしまいます。
そのことでいじめにあったこともあるようで、切ないですね。
お母さんの一言で積極的に声を出すことに
すっかり引っ込み思案になってしまった大山のぶ代さんを見かねてお母さんが言います。
「声が変だからといって、その弱いところをかばってばかりいたらもっと弱くなってしまう、声を出すような部活動をしなさい」と。
そこから大山のぶ代さんは放送研究部に入部しアナウンスをしたりして積極的に声を出す活動をしていきます。
お母さんの死をきっかけに演劇の道へ
大山のぶ代さんは高校では演劇部と水泳部に入部したそうですが、高校2年生の頃にお母さんが亡くなってしまいます。
そのことから、手に職をつけるために演劇の道を志したそうです。
アルバイトをしながら生活
お父さんから役者の道を反対された大山のぶ代さんは1人暮らしを始めます。
唯一応援してくれたお兄さんは仕送りをしてくれたようですが、それだけでは生活できず、アルバイトをしながら養成所に通い女優活動をしていたそうです。
女優デビューをきっかけに声優活動へ
1956年NHKのドラマ「この瞳」のデビューをきっかけに面白い子と評判になり多くのドラマやお笑いに出演することに。
このころに大山のぶ代さんの声は少年の声に向いていると言われ声優として活動を始めることになりました。
大山のぶ代さんがドラえもんの声を担当した時期は?
大山のぶ代さんは1979年から2005年までと26年もの長い期間ドラえもんの声を担当していました。
ここまで長い間担当されていたのだから、大山のぶ代さん自信、ドラえもんにすごく愛着もあっただろうし、生活の一部になっていましたよね。
私も大山のぶ代さん=ドラえもんでしたもん
大山のぶ代さんと一緒にドラえもんの主要キャラの声を担当したのは誰?
大山のぶ代さんがドラえもんを担当していた当時、他の主要キャラクターの声を担当していた方を調べてみました。
ドラえもん:大山のぶ代(2024年9月死去90歳没)
のび太:小原乃梨子(2024年7月死去88歳没)
しずかちゃん:野村道子
ジャイアン:たてかべ和也(2015年死去80歳没)
スネ夫:肝付兼太(2016年死去80歳没)
現在ご存命なのはしずかちゃん役の野村道子さんだけのようです。
大山のぶ代さん基本情報
大山のぶ代さんの基本情報です。
名前 | 大山 のぶ代(おおやま のぶよ) |
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本名 | 山下 羨代(やました のぶよ) |
生年月日 | 1933年10月16日-2024年9月29日(90歳没) |
血液型 | O型 |
身長 | 162㎝ |
出身地 | 東京都渋谷区 |
事務所 | アクターズ・セブン |
活動ジャンル | 女優、声優、歌手、エッセイスト、タレント |
配偶者 | 砂川啓介(2017年死別) |
高校 | 東京都立三田高等学校 |
まとめ
今回は初代ドラえもんの声を担当した大山のぶ代さんについての記事でした。
大山のぶ代さんは1979年から2005年までドラえもんの声を担当し、子供からお年寄りまでたくさんの人を楽しませてくれた方です。
大山のぶ代さんは残念ながら2024年9月29日に老衰で亡くなってしまいましたが、その声やテレビで見せてくれた大山のぶ代さん自信のあの明るいキャラクターは皆の心にずっと残ることでしょう。